和歌山県の民話・伝説⑥モグラとクジラ
むかし、ひとりの偉いお坊さんがおった。あるとき、日本一の那智の滝で修行をしようと思って熊野へでかけた。お坊さまは、途中の海辺で、シャチに追われて苦しんでいるクジラを見つけて、助けてやった。
しばらく歩いていくと、道端で、子どもたちがわいわい騒いでいる。みると、土の中から迷い出たモグラをつかまえて、
おんごろ、ふんごろ
目ぇ開けよ
とはやしながら、木切れでつついたり、足で蹴ったりしている。
「かわいそうに」
お坊さまは、子どもたちに頼んで、モグラを助けてやった。
それから、ずんずん歩いて、やっと滝の見えるところまで来た。那智の山は深くて道は険しい。お坊さまは、大きな杉の木に囲まれた薄暗い山道を汗をかきながら登って行った。すると、どこからきたのか、かわいらしい子どもが現れて、
「お坊さま、どこへ行きなさる」
と聞く。
「修行のため、那智の滝まで参りますのじゃ」
「あの滝には、恐ろしい天狗が住んでいて、意地悪をする。その時には、これをなめさせてやればええ」
かわいらしい子どもは、そう言うと、アメの入った壺をお坊さまに渡して、どこかへ行ってしまった。
お坊さまは、壷を持ったまま、滝のそばに行った。そのとき、気味の悪い風が、ひゅーっと吹いてきたと思うと、突然、目の前に真っ赤な顔をした天狗が現れた。
「やい、ここから先へ行くことはならん。行けばつかみ殺してしまうぞ」
天狗は、ものすごい顔つきでお坊さまをにらみつけた。その恐ろしさは、さすがのお坊さまでも思わず二、三歩あとずさったくらいであった。けれど、お坊さまは気を取り直して、
「このアメは天狗さまへのお土産、召し上がってくだされ」
と、子どもからもらった壺を差し出した。
「なに、お土産だと」
いいながら、天狗は、壷のアメをちょっと舐めてみた。
「これ、うめぇ」
そして、またちょっと舐めて、
「あぁ、うめぇ・・・。こらまた、うめぇぞ」
お坊さまは、天狗が、アメをぺちゃくちゃ舐めているすきに、滝壺の方に通り抜けた。しかし、何といっても日本一の大滝だ。風を起こして山から落ちてくる滝の水は、ごうごうと岩場に響き、滝壺のあたりに青い渕を作っている。とても滝壺のそばまでは行けそうもない。
「なんということじゃ。せっかく目の前に滝を見ながら」
お坊さまは唇をかんだ。滝に打たれて修行をしようと、長く苦しい旅を続けてきて、あと一歩というところで諦めねばならないとは。
お坊さまは体じゅうの力が抜けて、へたへたと座り込んでしまった。すると、お坊さまの目の前の土が、急にもくもくと膨れ上がり、一匹のモグラが顔を出した。
「お坊さま、ご心配ご無用」
そういうとモグラは、日本中から集まった仲間たちと一緒に穴を掘り始めた。滝壺の水を海に流しこもうというのだ。
これを聞いたクジラは、穴掘りをしているモグラたちが、流れてくる水で溺れ死ないように、仲間を集めて力いっぱい水を吸いこんでやった。
「お坊さまへの、ご恩返しでんさ」
クジラとモグラのおかげで、滝壺の水はみるみる減り、お坊さまは、みっちりと修行を積むことができた。
言い忘れたが、那智の山中でお坊さまにアメをくれたかわいらしい子どもは、実は那智の滝の観音さまが姿を変えて現れたのだと言われ、そのアメは、那智黒といって熊野名物になっている。
また、モグラたちが掘ったというトンネルは、勝浦の海まで通じていて、今もその海中からは、こんこんと真水が吹きだしている。クジラが水を吹くようになったのも、この時からだと村の人たちは長く語り伝えたそうな。
(八咫烏)