我が新宮ネットの企画局長である「おっちゃん」こと大石君が熊野新聞(2016/10/29付)に掲載された妖怪の記事1+2を見て新企画を提案してくれました。和歌山大学の中島淳司教授が妖怪、伝承などの研究で熊野を頻繁に訪れているとのことです。
和歌山県にも多くの民話が残されていますが、地元の人間でも案外知らないことが多いようです。そこで、新企画として、民話・伝説を紹介して行きたいと思います。手始めに、この記事で紹介されている那智山にまつわる民話「ひとつダタラ」を紹介します。
ひとつダタラ
むかし、那智の奥山に、「ひとつダタラ」という妖怪が住んでいました。身の丈約九メートル、ひとつ目はらんらんと光り、口は耳元まで裂け、足は一本で体中針金のような毛が生えており、疾風のように走る怪物でした。
ひとつダタラは、岩かげや藪の中に隠れていて、通りかかる熊野詣での旅人や、木こりや猟師たちに襲いかかりました。あまりの恐ろしさに、やがて、熊野参りの人たちも姿を見せなくなったので、血に飢えたひとつダタラは、民家にまで押しかけて、牛を引き裂き人間をつかみ殺すようになったので、那智山一帯の死活問題となりました。
腕に自信のある何人かの武士が、怪物退治に山へ入りましたが、帰ってきた者はありませんでした。噂では、身体は岩石のようで矢もはね返し、力も無双であるということです。村人の難儀を見かねた那智の熊野権現では、ひとつダタラを退治したものに褒美を出そうということになりました。
あるとき、里の茶店に熊野参りをする若者が立ち寄りました。狩場刑部左衛門と名乗る若者は、偉丈夫で人情も厚く、学問、武芸に秀でていました。刑部は、村人たちの困惑を見かね怪物退治を申し出て、村の人たちから弓と100本の矢をもってこさせると、翌朝早く一人で奥山へ入りました。
山に入って4日目のこと。晴れた昼間なら、熊野三千六百峰の山また山の重なりが美しいこの山も、今はまだ薄暗く乳色の霧が立ち込めていました。すると、西の空から轟音が起こり、噂とおりの怪物が刑部を襲って来ました。刑部は、力いっぱい弓を引き絞り、怪物目がけて次々と矢を打ち込みました。
しかし、ひとつダタラは、雨のように降って来る刑部の矢を次々と跳ね返し、妖しい笑い声を響かせながら刑部に襲い掛かるのでした。矢を放ち尽くした刑部は、熊笹のなかにどさっと座り込んだ刑部は、
「残念!もう矢が無い、悔しいがわしの負けだ!さあ、この体をおまえにくれてやる!」と叫びました。
刑部の無念の声に、勝ち誇ったひとつダタラは、「ぐわは、は、は!」と大声で笑うのでした。と、その瞬間、刑部は、隠してあった最後の一本の矢を取るなり、大きなひとつ目に狙いを定め、ずばっと一矢にして射抜きました。ひとつダタラは「ぎゃぁ!」と悲鳴を上げてその場にぶったおれたのでした。
見事に妖怪を退治した刑部には、この功労により、那智山から寺山三千町歩と金百貫、本宮からも金百貫が贈られましたが、刑部は色川郷十八ヵ村に寄付して、村人から大いに感謝されました。
やがて、刑部、刈場刑部左衛門は、色川の守り神として祀られ、その神社は樫原にあります。 |
この話は、永享7年(1435)、室町時代の出来事で、刑部は平家の一族と言い伝えられています。
(八咫烏)