安田紙を作った~笠松左太夫

有田郡山安田庄(有田川町)に生まれた笠松左太夫は、40歳の頃、紀州藩主徳川頼宣から大庄屋に抜擢され、多くの用水路や池を造って約9ヘクタールの新田を開発し、村人の暮らしを豊かにしました。

その後、左太夫を信頼した徳川頼宣は、製紙業のなかった領内での紙づくりを命じました。しかし、紙をつくる紙すきの技術を知る者はなく、他藩の和紙をyasudagamiづくりの盛んなところに行って教えてもらおうとしましたが、紙すきの技術は秘密で、見学もできませんでした。

こまった左太夫は、村の若者たちを製紙の盛んな吉野に送り込み、紙すきの技術を持つ女性と結婚し、連れて戻るように頼みました。こうして、吉野から来た女性たちによって技術が伝わり、良質な紙(安田紙)の製造を始めることができました。製紙は有田郡内で盛んになり、一時は400軒の紙漉き屋があったといいます。

現在、安田紙は、県の伝統工芸品に指定され、便せん、うちわなどの製品がつくられています。

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