滞在して文化に貢献した人たち②~石川弘

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石川弘(1876-1933)は、新宮高等女学校校長として、1917年(大正6年)8月から、1924年(同13年)6月まで在任しました。ちょうど女学校が、県立に移管してすぐのころで、女学校教育の完成に力を尽くしますが、町のスポーツや文化活動にも貢献しました。とくに音楽文化には熱心で、新宮で最初のピアノ演奏会を開いたりしています。

石川は和歌山市の出身で東京高等師範学校の出身、学生時代から「戯庵」という号で、雑誌「スバル」に作品を発表、ちょうど佐藤春夫などと同じころです。1912年(大正元年)には、ルソーの「懺悔録」をフランス語から直訳して出版、上田敏、森鴎外の両大家が序文を飾り、島崎藤村が跋文を書いています。この本は、1930年(昭和5年)に岩波文庫に三巻本として収められ、多くの読者に読み継がれました。

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