新宮キリスト教会跡
新宮キリスト教会跡(新宮市仲之町3丁目1-15)【地図】
1889年(明治17年)6月10日、新宮市中之町に、J.B.ヘールの指導により、9人の信者が新宮教会を組織し、大石余平を長老に、玉置酉久を執事に選びましだ。この日新宮教会設立式と献堂式を行いました。
新宮教会には、設立以来1907年(明治40年)頃まで専任の牧師がなく、外国人宣教師の巡回伝道、各地の伝道師の来援、信徒の奉仕で支えられていました。また外国伝道団体から経済的支援を受けていました。
その後、日高郡出身の沖野岩三郎(1876-1956)が明治学院卒業後、牧師として新宮教会に赴任しました。その時すでに真宗浄泉寺の住職として活動を始めていた高木顕明や大石誠之助と交流を深めていきました。
大石宅での新年宴会に、酒を飲まない沖野が招かれなかったことが、大逆事件で逮捕されることを免れた大きな要因といわれています。信者数が激減し苦しい生活を余儀なくされましたが、大逆事件で犠牲になった大石誠之助などの遺族の支援と救済に全力を尽くしました。遺族を援助しました。このときの体験を元に、与謝野晶子などに勧められ書き上げた小説が「宿命」です。