古い新聞記事に思う

友人から、新宮へ帰省した時に持ち帰った古い新聞記事の切り抜きが送られてきた。見ると、半世紀前(昭和41年-1966年)に発行された地元新聞のコラム記事でお題は「お灯まつり余話」とあり、祭りと観光施策についての意見を述べている。

記事を要約すると、

・近頃はどこの神社でもその土地の祭りを観光資源として利用していることが多い。
・全国でも珍しい火の祭りで新聞やテレビで宣伝はされるものの、他所から観光客を引き付ける魅力に乏しい。
・観光資源の乏しい新宮市はもっと観光面に利用して一人でも多くの客を引っ張り込む工夫が大切である。

とまあ、こんな具合である。

この記事の筆者はコラムの前段で、お灯祭りの女人禁制の風習に関わるエピソードを紹介している。遡ること更に10年前に、この新聞社の営業部長が速玉さんに行って女人禁制の風習について調べ、はっきりした根拠のないことが分かった。そして、そのことを新聞に出したところ、もの好きな女性が男装して参加を試みたが、神倉山の石段の処で見破られ目的を果たせなかったという。

筆者は、神や信心を売り物にすることは神罰を恐れぬことかもしれないと言いつつ、この祭りを信仰だけのものにしておくのはいかにももったいないという意見である。

私は、この記事を大変興味深く読んだ。半世紀も前に、我々と同じように新宮市の観光事業について心を砕いている人がいたという事実。そして、50年後の人口減問題をどこまで予測していたかは分からないが、折角ある観光資源を生かし切れていないのではないかと疑問を投げかけている事実に対してである。

お灯祭りは、何人も侵すことのできない神聖な祭りであり、観光資源に利用するなどもってのほかというネオ・お灯祭り派の意見もあるだろう。一方で、もし観光客も含めてしかも女性も含めて他所からの参加を受け入れたら浅草のカーニバルよろしく盛り上がるのではという意見もあろう。

妥協策を取るなら、前夜祭、本祭、後夜祭の三日間の開催とし、本祭は前期のネオ・お灯祭り派のみ参加できることとし、前夜祭、後夜祭では女性も観光客も受け入れるというのはどうだろう?約2000人という一日に危険なく参加できる人数の問題も解消できるはずだ。熊野古道の世界遺産登録後、観光を取り巻く事情も変化してきている。外国人もお灯祭りに受け入れるという時代が来てもおかしくはないのではないか。

お灯祭りを観光資源としてどう生かしていくかの議論、或いは古来からの風習や信仰についての議論については別の機会に譲りたいと思う。それよりも、2020年には2万人を切ると予測されている新宮市の人口減による街の過疎化問題について観光事業を含めてどう取り組んでいくのかを考えたい。街に活気を取り戻したいという市民の切なる願いを、強い思いを行政はどこまで理解しているのだろうか。

先ごろ丹鶴小学校跡地で発見された歴史遺構も、箱もの建設優先、予算優先することで結局は何も生かされずに済まされようとしている。過去に育まれてきた歴史は、新たに作れないし金でも買えない。私は、新宮のこうした歴史については知識も浅いが、速玉大社から阿須賀神社にかけての一本のライン上に地下何層にも亘って悠久の歴史の跡が埋まっているであろうことくらいは想像できる。この問題こそ、行政がリーダーシップを発揮し、観光協会をはじめ民間の力と協力して取り組んでいくべきと考える。

上記のお灯祭りの記事は現象の一面を表しているだけかもしれないが、2017年の今、目にするとことで、新宮市の行政のあり方は50年間何も変わっていないのかと思わざるを得ない。このところの行政の動きを見るにつけ、今こそ、「観光資源に乏しい新宮市」ではなく、「観光資源があるのに生かし切れていない新宮市」であることをはっきり自覚して欲しいものだ。

(八咫烏)

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